2007-03-31

心臓病から脳梗塞、母の家系

痴呆症の親父の家系については前回に書いたが、実はお袋の家系は心臓病が多い。
息子の私としては・・・どっちに転んでも・・・・・という感じで将来を案じてはいたが、

ピンポーン!という感じで母方に転んでしまった。一昨年心筋梗塞で運ばれた。
比較的軽くて心臓の組織自体はほとんど損傷は無かったらしい、ステントという網状のチューブが一本血管に埋まっていて、幸い後遺症もなく日々ウオーキングに励んでいる。
遺伝というより本人の不摂生の原因が大きいのだけど・・

母方の私の祖母は脳卒中?で亡くなったのだが、母が一番頼りにしてる東京の叔母さんは心臓ペースメーカーが入っている障害者。正直母の具合の変化を伝えることも見舞いに来てくれるのも叔母さんの体調の方も気にかかる。もう高齢者だし。

母もずっと心臓が悪かった、種々薬も処方されていた。狭心症だか不整脈だかの心臓の病気で血の塊が飛んで脳に詰まり脳梗塞を発症すると医師が言ってた。母の闘病は親父以上で未だ進行形で続くがまだ書く気はしない。

最もショックだったのは私が高一の時、姉が不慮の事故(心臓麻痺)で亡くなったこと。後で判ったが心臓の薬を飲んでいたらしい。高齢者なら種々の病気が出てきてもいたし方ない面もあるが、若い死は家族共々悲惨極まりなかった。全ては過去の話だ。

今どんなに辛くても未来は必ず思い出に変わる、大事なのは過去を感傷的に引きずって現在に影響させるのではなく、常に今と未来に思案を向けることだと思う、過去を無駄な悔悟にしないためにも。 そうすればブログも書ける! なんちゃって。

同じ想いをしている方からもコメントいただけるようになりました、嬉しい限りです。僕の方が勇気を頂いてます。
ブログ初めてなのでコメント頂いた方々への返信とかよく解らないのですが、解る方いたら教えて下さればありがたいです。

2007-03-25

認知症(痴呆)の家系?遺伝するの?

わが家の父系の家系には実は痴呆が多い。祖父は若くして40代で亡くなったが祖母はやはり今で言う認知症だった。私がまだ小さい頃であまり記憶が無いが、トイレ以外の家の中で排便したり、徘徊みたいな感じで親戚の家に用も無いのに通っていたりしたらしい。

親父は長男で兄弟は(種違いで2人)8人もいる。昔はそんなもんだ。子供が大勢、今じゃ考えられない、8人も産んだんじゃ呆けてもしょうがない。ぐらいの感じもしてた。

でも一番上の姉も教師をしていた人だが、痴呆で徘徊等も繰り返し、ずっと寝たきり状態で従姉妹が自宅で介護し続け亡くなっている。
そしてすぐ下の弟も認知症、親父が亡くなってからも一時期頻繁にちょっと見当違いに思える葉書を送ってきていた。
その下の弟も同じ、話だけ聞いていて晩年入所している施設に見舞いに行ったが、もう話せなくて寝たきりの恍惚状態、田舎弁で話しかけたら一瞬反応したように見えた。
内科の医師をしていた人で頭も良かったのに医者として自分の痴呆が進行していくのをどういう感じで受け止めていたのだろう?親父の兄弟の中でいってみれば一番成功した叔父さんだったが晩年は哀れにも思える。
親父と二重写しに見えた。痩せて顔の骨格が浮き出ていたせいもあるが、晩年の親父とそっくりで、やっぱり兄弟なんだな~と感じた。

一緒に見舞いに行った従姉妹が以前電話で「家の母もそうだけど、一生懸命生きてきてこれだけの事を成しとげてがんばってきたのに、最後は全部訳判らなくなっちゃって人生ってなんなんだろうね?悲しいね!」というようなことを言ってた。別に認知症になった人の人生越し方が否定される訳でもないのは分かっていることだが。最後は安穏であってほしい。

「平均年齢が上がって昔より長寿になってきたから痴呆も多くなってきた」というが、今の医学でまだ治癒できないのなら、少しでも晩年に至った病気持の高齢者が楽に安泰でいられるように家族の安心も含めて切にそう思う。叔父叔母の家族も皆辛い思いをしていた。
今そういう状況に無くて何の関心も無い人も皆多かれ少なかれ経験する道なんだろうが。
未来はもっと軽減されるように願う。

2007-03-20

徘徊する親父との散歩 part2

徘徊もけっこう頻繁になり、私が心配しているのが通じたのか「息子が呼んでいるから」と言って出て行ったり、母が追い掛けきれず人を頼んで付いてもらうこともあった。
僕の仕事帰りにちょうど出て行く父に遭遇して「早く追いかけてや~」と母に言われ後を追った事も数回あった。

やはり忘れられない記憶がある。ここは地域柄大風が吹き捲る日が多々ある。ある日の夕刻、仕事帰りか休日だったか忘れたが親父がまた出て行ったので横に付いて一緒に歩いた。風がとても冷たく体がブルブル震えながら「父ちゃんどこへいくだー、帰るばー」と言いながら2人で歩いた。
親父は大風に体を揺らされるとちょっと立ち止まり、また黙々と歩を進める。寒そうな気配も感じさせず、俺が何か言ったり腕を取ったりすると少し俺の顔を見てまたきびすを返して歩きだす。何か口でしゃべりながら、風が強く何も聞こえない。一心不乱にただ歩く。

やっと一週の経路を誘導して帰ってきた、体は何か火照っていたような感じがする。少々頭にきて、親父の後ろから店の横のサッシの入り口を開け、立ち止まっているので「早く入れよ!」と言うと、一歩だけ中に入りまたじっとしている、そして右手を後ろに持ってきて後ろを振り向かないでゆっくり戸を閉めて家の中に入っていった。
俺の前でガラス戸がピシャリと閉められた。俺はまだ外にいるのに。
歩きながらの俺の態度に腹を立てたのか、すぐ後ろにいる俺の存在を認識していなかったのか。
何か親父に無視されたような、お前は入ってくるなと言われているようで、まるで幼い子供が親に叱られて家の外に出されたような、なんかやるせない感情が湧いて来て。すぐ戸が開けられなかった・・・

2007-03-18

土星

天体に詳しい人に付き合って天体観測
に行ったことがある。
真っ暗な中に小さい土星・木星と衛星を見せてもらい感動した覚えがある。
こんなでかくはなかったけど。


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2007-03-16

安藤和津と奥田瑛二さん家族の介護体験

今TV 「金スマ」で安藤和津さん、奥田瑛二さん家族の介護の体験観ました。脳腫瘍とのことだった。

家の親父はアルツハイマー性の痴呆・認知症で病気は違うが、同じ脳の病変で似たところもある。こういう内容のテレビは何か身につまされるようであまり見る気はしないのだが、やはり観てしまった・・。でも安藤さんは介護で苦労しながらも段々「今のこの苦労は子供の頃から親がしてくれた愛情への恩返しなんだ!と感じるようになって気持が切り替わった」というようなことを言っていた。

自分も親父がどんどん変わっていくことに戸惑い、怒りや焦燥感も何度も味わってきたが、時を経て好々爺っぽくなった時期に親父が非常に愛しく想えたことがある。今のお袋の状況にも同じ感情がある。

なんだかんだ思っても親父は親父、お袋はお袋であって、俺はその息子。切っても切れるもんじゃない。そして何を苦悩しようが、何を喜ぼうが、何を尊大ぶろうが親父お袋がいなかったら今の自分の存在自体も無かったことになる。そう思うと今現在の苦悩も喜びも全部自分持ち。宿命といえばそれまでだが全て受け入れて自分で変えていくしかない。眼を背けることはできない。

ある書物で読んだことがある。「苦悩が続く時は、この状況が永遠に続くのではないかと思える。しかし!永遠に続く楽しみがないように、永遠に続く苦しみも絶対にない!」この言葉に勇気を覚えたことがある。

2007-03-14

徘徊する親父との散歩

お袋のことも気掛かりだった。日中親父の徘徊に付き合って出たまではよかったが、途中のT字路でいつも右に曲がるのを車が来るのを立ち止まって待ったらしい。そこで思考が途切らされたのかいつもの道順と反対の左方向へ歩き出してしまった。
説得しても手を取っても言うことを聞かない、家と反対の方へどんどん進み海岸線を付き添っていたが心配しながら歩き続け、自分の方が心臓が苦しくなってしゃがみ込んでしまったという。
事無きを得たが、我家は心臓の良くない家系でお袋も亡くなった姉貴も心臓の薬を飲んでいた、俺もそうだが。父方は呆けの家系、母方は心臓病が多い、遺伝か?なんとか変換しなくては!

2007-03-11

徘徊する気持、親父のお辞儀。

親父はなぜ外へ出るようになったのだろう?認知症の痴呆状態が進行して徘徊までするようになった。と言えばそれまでだが、親父にもそれなりの理由があったように見られた。

ある日お袋の前に来て正座し丁寧にお辞儀した。そしてそっと一万円札を差し出して、「お世話になりました」と一言・・・
お袋があっけに取られて呆然としていると、そのまま出て行ってしまった・・・。気を取り直して後を追ってまた連れて戻ってきたが、その話を聞いてお袋の落胆ぶりが伝わってきた。

やはり親父も自分の奇異な言動、行動に家族が辛い思いをしているのを感じ取り自覚していたと思う。それがこの時は、こうなってしまった今の自分ができることは家を出て行くしかないという行動になったんだと思う。考えると親父も哀れに想えてしかたない。あの親父らしい表現の仕方だと、今想うと懐かしく哀愁すら憶えてしまう。本当に常識豊かで温和な人だったから。

2007-03-09

徘徊、一心不乱に歩く。

アルツハイマー性の痴呆、認知症は進みついに徘徊を頻繁にするようになった。
外に出て行くとお袋が傍に付いて後を追っていかなければならない。
帰ろうと呼びかけても、手を引いて引き戻そうとしても言う事を聞かない。親父もお袋も小柄な体格だが親父はただひょこひょこ一心不乱に歩き無理に止めることはできない。

でも大概歩くコース?は決まっていた。ぐる~と一周廻って戻るという感じ。まあお袋が「こっちの道」とか「右へ、右へ曲がって!」とかなんとか誘導していたみたいだが、親父も知っている道を忘れてしまっているのか迷うとなんとか指図に従って戻っていたみたいだ。
お袋の介護の心労が段々溜まっていく。

2007-03-07

目が離せなくなる。

お袋の方が大変だった、親父が独り言いってる時はそっとしておき、怒ってる時は逃げ隠れしてしばらく間を置き、少し落ち着いてから戻ってくればよかった。
でも徘徊するようになると何時ふっと居なくなるかも知れない。この頃になると親父の過激な情態は影を潜めたように無くなってほっとしもしたが、今度は目が離せなくなってしまった。

2007-03-05

徘徊が始まった!

個人店舗の自営業というものはほとんどが店舗内での仕事、我家は住宅兼店舗の家だから両親共一日中家に居ることになる。狭い地域だから特に出かける場所も無いのだが。
お袋は僕が休日の日は畑に行きたがり、親父はちょっと前まではよく仕入れの為に上京したり壮年期には旅行にもけっこう出かけていた。

 話はずっと前に遡るが、僕が小学校入るか入らない頃に父が車の運転をしていたのを見た記憶がある。免許取立てという感じで教官役の知り合いの人が同乗していた。
それも昔懐かしいオート三輪車の「ミゼット」だ! でも確か今では一方通行になってる家の前の道路を逆走していた。昔は一通じゃなかったのか・・?
親父が運転しているのを見た記憶はこの時だけ、話に聞くと免許更新しないで流してしまい、それきり取らなかったらしい。
そういう訳で親父は運転して外へ出かけることも無かったし、用が無い限り出歩くこともほとんど無かった。

そうやって家の中で呆けていってる分には客などに迷惑かけたりはしたけど、ある意味家庭内だけの秘め事・辛労の範囲で済んでいたともいえた。でもあれだけ外出することのなかった親父が急に外出しはじめた。症状の変化か?徘徊するようになってしまった。

2007-03-03

変わっていく父

いつ頃からか、親父のように細かくメモに残すような几帳面じゃない自分は憶えていないが、あれほど人格が変わった表情を現した父が変わってきた。
過激な行動が影を潜め、おとなしくなった。薬のおかげか、それとも自らセーブするように心境が変化したのか?分からない。でも痴呆・認知症の症状は進行しているように感じられた。

2007-03-01

ヤマブシダケが認知症にきく!

数日前、夜中TVのチャンネル変えたら、たまたまきのこ類の「ヤマブシダケ」というのが認知症の改善に良いと言ってた。
「ヤマブシタケ」という名前も初めて聞いたけど、まだラットでの試験だが認知症の症状が劇的に改善の傾向がみられたとのこと。ねずみも呆けるのか?

途中からですぐ終っちゃたけど後日ネットで調べてみたら(ヤマブシダケ 認知症)で検索かけるとけっこう出てきた。ボケやアルツハイマー型認知症に対する効果、認知症を予防する効果があるとされる「エリナシン」?や「ヘリセノン」?を含んでるとのこと。

結構有名だったのか?こんな田舎じゃ売ってない。でも俺も親父の息子だから先々どうなるか分からないし、予防で食べた方がいいかも知れない。早く医療が進歩してほしいものだ。