父 母 を 想 う 時 (高齢者・痴呆・認知症・脳梗塞・障害者・介護)
アルツハイマーで認知症になった父と脳梗塞で障害者になった母への思いを綴ってみる。
2007-04-14
東京タワーと桜田通り
東京タワーがでっかく正面に見える。
この歩道を歩くシーンを数回TVで観たことがある。
ちなみに写ってる人はたまたま歩いてて写ってしまった人。
写ってる歩道の反対側の歩道に親父の店舗があった。
2007-04-13
東京タワーがない
親父は寡黙な人柄で昔の話とかはあまりしなかった。特に東京に住んでいた頃のことは一度も父から聞いたことはない。
母も父が昔東京の三田に住んでいて前妻との間に1人子供を亡くしていることぐらいで、あとは何も話してくれないから私も知らないと言っていた。
私がある程度の話を聞いたのは、伯母さんとその娘(従姉)からだった。
年代はよく判らないが、もう半世紀以上も前になる。
親父は東京港区の三田方面にある桜田通り(国道一号)に面した所に和菓子の店舗を構えていた。けっこう繁盛していたという。
道路を隔てたすぐ向いには慶応大学の東門がありこの通りの真正面にはでかくそびえ立つ東京タワーが建っている。
「桜田通り」はけっこう写真などの撮影のスポットで、時折TVドラマなどで東京タワーが映ったこの通りを歩くシーンを観ることがある。
親父が住んでいた頃は東京タワーはまだ影も形も無い。
半世紀以上も前のことだから。
親父はこの通りでどんな想いを描いていたんだろう?
そして東京タワーの無いこの「桜田通り」の風景はどんなんだったんだろう? と思う。
2007-04-08
和菓子の丁稚奉公と二・二六事件
親父は昔、和菓子の職人だった。10代から丁稚奉公(でっちぼうこう)して東京の「風月堂」などで働いていたらしい。そして昭和11年のクーデター未遂事件だった「二・二六事件(ににろくじけん)」に遭遇したとのこと。
大雪の日、自転車でお店の配達?だかをしていた時皇居近くが騒がしくなり、自転車を止めて、なんだろう?と見ていると兵隊さんが行進していた、騒然としてきて警官だか兵隊(二・二六事件は陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした反乱事件)が来て「ここに居るな!早く帰れ!」と言われて帰ったとのこと。それから数日戒厳令が布かれて外に出れなかったと。
社会の教科書で習った「日本の歴史」ぐらいの認識しかなかったが、親父は大正2年生まれ、歴史のちょっとした証言者だった。まだ痴呆症状や認知症になるずっと前に聞いた話だ。
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