親父は昔、和菓子の職人だった。10代から丁稚奉公(でっちぼうこう)して東京の「風月堂」などで働いていたらしい。そして昭和11年のクーデター未遂事件だった「二・二六事件(ににろくじけん)」に遭遇したとのこと。
大雪の日、自転車でお店の配達?だかをしていた時皇居近くが騒がしくなり、自転車を止めて、なんだろう?と見ていると兵隊さんが行進していた、騒然としてきて警官だか兵隊(二・二六事件は陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした反乱事件)が来て「ここに居るな!早く帰れ!」と言われて帰ったとのこと。それから数日戒厳令が布かれて外に出れなかったと。
社会の教科書で習った「日本の歴史」ぐらいの認識しかなかったが、親父は大正2年生まれ、歴史のちょっとした証言者だった。まだ痴呆症状や認知症になるずっと前に聞いた話だ。
2007-04-08
2007-03-31
心臓病から脳梗塞、母の家系
痴呆症の親父の家系については前回に書いたが、実はお袋の家系は心臓病が多い。
息子の私としては・・・どっちに転んでも・・・・・という感じで将来を案じてはいたが、
ピンポーン!という感じで母方に転んでしまった。一昨年心筋梗塞で運ばれた。
比較的軽くて心臓の組織自体はほとんど損傷は無かったらしい、ステントという網状のチューブが一本血管に埋まっていて、幸い後遺症もなく日々ウオーキングに励んでいる。
遺伝というより本人の不摂生の原因が大きいのだけど・・
母方の私の祖母は脳卒中?で亡くなったのだが、母が一番頼りにしてる東京の叔母さんは心臓ペースメーカーが入っている障害者。正直母の具合の変化を伝えることも見舞いに来てくれるのも叔母さんの体調の方も気にかかる。もう高齢者だし。
母もずっと心臓が悪かった、種々薬も処方されていた。狭心症だか不整脈だかの心臓の病気で血の塊が飛んで脳に詰まり脳梗塞を発症すると医師が言ってた。母の闘病は親父以上で未だ進行形で続くがまだ書く気はしない。
最もショックだったのは私が高一の時、姉が不慮の事故(心臓麻痺)で亡くなったこと。後で判ったが心臓の薬を飲んでいたらしい。高齢者なら種々の病気が出てきてもいたし方ない面もあるが、若い死は家族共々悲惨極まりなかった。全ては過去の話だ。
今どんなに辛くても未来は必ず思い出に変わる、大事なのは過去を感傷的に引きずって現在に影響させるのではなく、常に今と未来に思案を向けることだと思う、過去を無駄な悔悟にしないためにも。 そうすればブログも書ける! なんちゃって。
同じ想いをしている方からもコメントいただけるようになりました、嬉しい限りです。僕の方が勇気を頂いてます。
ブログ初めてなのでコメント頂いた方々への返信とかよく解らないのですが、解る方いたら教えて下さればありがたいです。
息子の私としては・・・どっちに転んでも・・・・・という感じで将来を案じてはいたが、
ピンポーン!という感じで母方に転んでしまった。一昨年心筋梗塞で運ばれた。
比較的軽くて心臓の組織自体はほとんど損傷は無かったらしい、ステントという網状のチューブが一本血管に埋まっていて、幸い後遺症もなく日々ウオーキングに励んでいる。
遺伝というより本人の不摂生の原因が大きいのだけど・・
母方の私の祖母は脳卒中?で亡くなったのだが、母が一番頼りにしてる東京の叔母さんは心臓ペースメーカーが入っている障害者。正直母の具合の変化を伝えることも見舞いに来てくれるのも叔母さんの体調の方も気にかかる。もう高齢者だし。
母もずっと心臓が悪かった、種々薬も処方されていた。狭心症だか不整脈だかの心臓の病気で血の塊が飛んで脳に詰まり脳梗塞を発症すると医師が言ってた。母の闘病は親父以上で未だ進行形で続くがまだ書く気はしない。
最もショックだったのは私が高一の時、姉が不慮の事故(心臓麻痺)で亡くなったこと。後で判ったが心臓の薬を飲んでいたらしい。高齢者なら種々の病気が出てきてもいたし方ない面もあるが、若い死は家族共々悲惨極まりなかった。全ては過去の話だ。
今どんなに辛くても未来は必ず思い出に変わる、大事なのは過去を感傷的に引きずって現在に影響させるのではなく、常に今と未来に思案を向けることだと思う、過去を無駄な悔悟にしないためにも。 そうすればブログも書ける! なんちゃって。
同じ想いをしている方からもコメントいただけるようになりました、嬉しい限りです。僕の方が勇気を頂いてます。
ブログ初めてなのでコメント頂いた方々への返信とかよく解らないのですが、解る方いたら教えて下さればありがたいです。
2007-03-25
認知症(痴呆)の家系?遺伝するの?
わが家の父系の家系には実は痴呆が多い。祖父は若くして40代で亡くなったが祖母はやはり今で言う認知症だった。私がまだ小さい頃であまり記憶が無いが、トイレ以外の家の中で排便したり、徘徊みたいな感じで親戚の家に用も無いのに通っていたりしたらしい。
親父は長男で兄弟は(種違いで2人)8人もいる。昔はそんなもんだ。子供が大勢、今じゃ考えられない、8人も産んだんじゃ呆けてもしょうがない。ぐらいの感じもしてた。
でも一番上の姉も教師をしていた人だが、痴呆で徘徊等も繰り返し、ずっと寝たきり状態で従姉妹が自宅で介護し続け亡くなっている。
そしてすぐ下の弟も認知症、親父が亡くなってからも一時期頻繁にちょっと見当違いに思える葉書を送ってきていた。
その下の弟も同じ、話だけ聞いていて晩年入所している施設に見舞いに行ったが、もう話せなくて寝たきりの恍惚状態、田舎弁で話しかけたら一瞬反応したように見えた。
内科の医師をしていた人で頭も良かったのに医者として自分の痴呆が進行していくのをどういう感じで受け止めていたのだろう?親父の兄弟の中でいってみれば一番成功した叔父さんだったが晩年は哀れにも思える。
親父と二重写しに見えた。痩せて顔の骨格が浮き出ていたせいもあるが、晩年の親父とそっくりで、やっぱり兄弟なんだな~と感じた。
一緒に見舞いに行った従姉妹が以前電話で「家の母もそうだけど、一生懸命生きてきてこれだけの事を成しとげてがんばってきたのに、最後は全部訳判らなくなっちゃって人生ってなんなんだろうね?悲しいね!」というようなことを言ってた。別に認知症になった人の人生越し方が否定される訳でもないのは分かっていることだが。最後は安穏であってほしい。
「平均年齢が上がって昔より長寿になってきたから痴呆も多くなってきた」というが、今の医学でまだ治癒できないのなら、少しでも晩年に至った病気持の高齢者が楽に安泰でいられるように家族の安心も含めて切にそう思う。叔父叔母の家族も皆辛い思いをしていた。
今そういう状況に無くて何の関心も無い人も皆多かれ少なかれ経験する道なんだろうが。
未来はもっと軽減されるように願う。
親父は長男で兄弟は(種違いで2人)8人もいる。昔はそんなもんだ。子供が大勢、今じゃ考えられない、8人も産んだんじゃ呆けてもしょうがない。ぐらいの感じもしてた。
でも一番上の姉も教師をしていた人だが、痴呆で徘徊等も繰り返し、ずっと寝たきり状態で従姉妹が自宅で介護し続け亡くなっている。
そしてすぐ下の弟も認知症、親父が亡くなってからも一時期頻繁にちょっと見当違いに思える葉書を送ってきていた。
その下の弟も同じ、話だけ聞いていて晩年入所している施設に見舞いに行ったが、もう話せなくて寝たきりの恍惚状態、田舎弁で話しかけたら一瞬反応したように見えた。
内科の医師をしていた人で頭も良かったのに医者として自分の痴呆が進行していくのをどういう感じで受け止めていたのだろう?親父の兄弟の中でいってみれば一番成功した叔父さんだったが晩年は哀れにも思える。
親父と二重写しに見えた。痩せて顔の骨格が浮き出ていたせいもあるが、晩年の親父とそっくりで、やっぱり兄弟なんだな~と感じた。
一緒に見舞いに行った従姉妹が以前電話で「家の母もそうだけど、一生懸命生きてきてこれだけの事を成しとげてがんばってきたのに、最後は全部訳判らなくなっちゃって人生ってなんなんだろうね?悲しいね!」というようなことを言ってた。別に認知症になった人の人生越し方が否定される訳でもないのは分かっていることだが。最後は安穏であってほしい。
「平均年齢が上がって昔より長寿になってきたから痴呆も多くなってきた」というが、今の医学でまだ治癒できないのなら、少しでも晩年に至った病気持の高齢者が楽に安泰でいられるように家族の安心も含めて切にそう思う。叔父叔母の家族も皆辛い思いをしていた。
今そういう状況に無くて何の関心も無い人も皆多かれ少なかれ経験する道なんだろうが。
未来はもっと軽減されるように願う。
2007-03-20
徘徊する親父との散歩 part2
徘徊もけっこう頻繁になり、私が心配しているのが通じたのか「息子が呼んでいるから」と言って出て行ったり、母が追い掛けきれず人を頼んで付いてもらうこともあった。
僕の仕事帰りにちょうど出て行く父に遭遇して「早く追いかけてや~」と母に言われ後を追った事も数回あった。
やはり忘れられない記憶がある。ここは地域柄大風が吹き捲る日が多々ある。ある日の夕刻、仕事帰りか休日だったか忘れたが親父がまた出て行ったので横に付いて一緒に歩いた。風がとても冷たく体がブルブル震えながら「父ちゃんどこへいくだー、帰るばー」と言いながら2人で歩いた。
親父は大風に体を揺らされるとちょっと立ち止まり、また黙々と歩を進める。寒そうな気配も感じさせず、俺が何か言ったり腕を取ったりすると少し俺の顔を見てまたきびすを返して歩きだす。何か口でしゃべりながら、風が強く何も聞こえない。一心不乱にただ歩く。
やっと一週の経路を誘導して帰ってきた、体は何か火照っていたような感じがする。少々頭にきて、親父の後ろから店の横のサッシの入り口を開け、立ち止まっているので「早く入れよ!」と言うと、一歩だけ中に入りまたじっとしている、そして右手を後ろに持ってきて後ろを振り向かないでゆっくり戸を閉めて家の中に入っていった。
俺の前でガラス戸がピシャリと閉められた。俺はまだ外にいるのに。
歩きながらの俺の態度に腹を立てたのか、すぐ後ろにいる俺の存在を認識していなかったのか。
何か親父に無視されたような、お前は入ってくるなと言われているようで、まるで幼い子供が親に叱られて家の外に出されたような、なんかやるせない感情が湧いて来て。すぐ戸が開けられなかった・・・
僕の仕事帰りにちょうど出て行く父に遭遇して「早く追いかけてや~」と母に言われ後を追った事も数回あった。
やはり忘れられない記憶がある。ここは地域柄大風が吹き捲る日が多々ある。ある日の夕刻、仕事帰りか休日だったか忘れたが親父がまた出て行ったので横に付いて一緒に歩いた。風がとても冷たく体がブルブル震えながら「父ちゃんどこへいくだー、帰るばー」と言いながら2人で歩いた。
親父は大風に体を揺らされるとちょっと立ち止まり、また黙々と歩を進める。寒そうな気配も感じさせず、俺が何か言ったり腕を取ったりすると少し俺の顔を見てまたきびすを返して歩きだす。何か口でしゃべりながら、風が強く何も聞こえない。一心不乱にただ歩く。
やっと一週の経路を誘導して帰ってきた、体は何か火照っていたような感じがする。少々頭にきて、親父の後ろから店の横のサッシの入り口を開け、立ち止まっているので「早く入れよ!」と言うと、一歩だけ中に入りまたじっとしている、そして右手を後ろに持ってきて後ろを振り向かないでゆっくり戸を閉めて家の中に入っていった。
俺の前でガラス戸がピシャリと閉められた。俺はまだ外にいるのに。
歩きながらの俺の態度に腹を立てたのか、すぐ後ろにいる俺の存在を認識していなかったのか。
何か親父に無視されたような、お前は入ってくるなと言われているようで、まるで幼い子供が親に叱られて家の外に出されたような、なんかやるせない感情が湧いて来て。すぐ戸が開けられなかった・・・
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